はじめに
2026年1月25日、宮古島市役所2階大ホールにて「子ども・子育てゆんたく会 Vol.3」を開催しました。
3回目のテーマは、
「子どもの“おと”を、きいてみる〜写真とことばで、こどもの育ちをゆんたく〜」
一般社団法人沖縄こどもみらい創造支援機構理事長の新城宗史さんを講師に迎え、お話をうかがいました。
新城 宗史さんについて
一般社団法人沖縄こどもみらい創造支援機構理事長
宮古島市を拠点に、児童館や放課後児童クラブ、地域子育て支援拠点など、子ども・子育てに関わる複数の施設運営に携わる。日々の現場実践をもとに、子どもの育ちを支える環境や、大人の関わりのあり方について、保育・教育・子育て支援の分野を中心に講演、研修、実践研究を行っている。
「子どもをまんなかにするとはどういうことか」
「大人はどのようなまなざしで子どもと向き合うのか」といった問いを大切にし、具体的な事例を通して共に考える時間をつくることを心がけている。
二男三女の父。


「行為」と「人格」を切り離して向き合う
明日から意識したいこと
よくない「行為」を指摘しても、その子の「人格」までは否定しない。
新城さんは、子どもと向き合う上で一番大切にしていることとして、「行為とその人を分けること」を挙げられました。
子どもが何か良くないことをした時、私たちはつい「だからお前はいつも……」と、その子の人格まで否定するような言葉を投げかけてしまいがちです。でも、否定すべきはあくまで「その時の行為」であって、その子自身の存在ではありません。
人格を否定せず、「その行動は良くないけれど、あなたのことは大切に思っているよ」という安心感があって初めて、子どもは自分の内側にある「おと(気持ち)」を安心して出せるようになります。
新城さんは、そんな眼差しが育む子どもの姿を、具体的なエピソードを通して教えてくれました。
- 玄関の靴に隠された「葛藤のあと」
児童館の玄関に、バラバラに脱ぎ捨てられている靴を見かけたときのこと。
「何度言っても揃えられない子」と決めつけるのをやめて、行為とその子自身を切り離して見てみる。すると、別の「おと」が聞こえてくるそうです。 「一刻も早く館内に入って遊びたい!」という弾むような気持ち。それと同時に、よく見るとバラバラなりに「少し揃えようとした跡」が見えることもある。早く遊びたいけれど、本当はちゃんとしたい。そんな狭間にある微かな「育とうとする意欲」や葛藤に気づけると、親の心にも「そっか、頑張ろうとはしてたんだね」という温かな余裕が生まれます。 - 「回鍋肉」と「わらび餅」に映る世界
ままごと遊びをしていた子が、「はい、先生。回鍋肉(ホイコーロー)おいしいですよ!」と、フェルトで作った料理を出してくれたときのこと。
新城さんは、メインの大きなお皿だけでなく、横にあった小皿に盛り付けてあった同じ見た目のフェルトも手に取り、「この回鍋肉もおいしいですね」と食べる真似をしました。すると、その子はパッと曇った表情になり、「先生、それはわらび餅だよ!」と教えてくれたそうです。 大人は「同じ見た目なら同じものだ」と知識で決めつけてしまいがちですが、子どもたちは自由な感性で、現実とファンタジーを軽やかに行き来しています。大人が勝手に「正解」を決めつけるのではなく、「この子の目には今、何が映っているんだろう?」とその世界を丁寧に覗いていく姿勢こそが大切なのです。
大切なのは、目に見える「できている・いない」という結果に振り回されるのではなく、その奥にいる「その子自身」をまるごと信じて見守ること。
大人の物差しで測るのをやめて、この「おと」を拾えるようになると、子どもの確かな成長や愛おしい感性に気づくことができます。目の前の「行為」だけでその子を決めつけるのをやめたとき、親の心はふわりと解き放たれ、子どもと向き合う時間はもっと穏やかで温かいものに変わっていくのだと感じました。

「甘え」と「甘やかし」の境界線って?
明日から意識したいこと
子どもが放つ「手伝って」「一緒にいて」という甘えのサインを、自立への充電として受け止める。大人の都合で先回りする「甘やかし」は、そっと手放してみる。
大人はつい「早く自立させなきゃ」と焦り、何でも一人でやらせようと力が入ります。しかし、新城さんは「自立とは、十分に甘えられた経験の先に育つもの」だと語ります。
ここで混同されやすいのが、「甘え」と「甘やかし」の違いです。どのように違うのでしょうか?
- 「甘え」は、子どもの心の欲求
「抱っこして」「トイレまでついてきて」という言葉は、心のエネルギーを充電したいサインです。この欲求が満たされることで、子どもは「自分は大切にされている」という安心感を持ち、再び自分の足で歩き出す力を蓄えます。
- 「甘やかし」は、大人の都合
子どもが自分でやろうとしていること、あるいはできるはずのことを、大人が面倒だったり急いでいたりする理由で先回りしてやってしまうこと。これは、子どもの「自分でできた!」という達成感を奪ってしまいます。
新城さんの施設でも、普段は一人でトイレに行ける子が、急に「トイレの前で待ってて」と言い出すことがあるそうです。そんな時、「もうお兄ちゃんでしょ」と突き放すのではなく、「いいよ、ここで待ってるね」と受け止める。 すると子どもは安心して、流す時の音に耳を塞いで怖がりながらも、自分で向き合おうとするのです。
「させよう、教えよう」と外から無理に引っ張るのではなく、甘えをしっかり受け止め、内側から「やってみよう」という力が湧いてくるのを待つ。大人の役割は、無理に引っ張り出すことではなく、安心して戻ってこられる土壌を整えることなのです。

「モノ」の知識より、心を奪われる「コト」の体験を
明日から意識したいこと
「知っている(モノ)」だけで満足せず、親子で一緒に驚き、心を動かす「体験(コト)」を分かち合おう。
今の時代、スマホや図鑑を開けば、子どもたちは「モノ」の名前をいくらでも知ることができます。しかし、新城さんは「モノを知っていても、コト(体験)を知っているとは限らない」と警鐘を鳴らします。
例えば、ポップコーン。
「トウモロコシからできるお菓子」という知識(モノ)はあっても、フライパンの中で「パチパチッ!」とはじける心も躍動する音、部屋いっぱいに広がる香ばしい匂い、出来立ての熱々を指先で感じる質感……。
そんな、思わず心が奪われるような直接体験(コト)が、今の子供たちには圧倒的に不足しているのだそう。
こうした五感を揺さぶる体験こそが、学びの土台となる「非認知能力」を耕します。
新城さんはまた、「育ちが良い」という言葉の本当の意味についても教えてくれました。
それは単に「靴を揃える」「敬語が使える」といった形式的なマナーを知っていることではありません。一つの出来事から「もしこうしたら、相手はどう思うかな?」と豊かな想像を広げ、相手への配慮が自然と生まれること。
この「深みのある育ち」は、大人が正解を教え込むことからは生まれません。 ハンバーガーにライオンが挟まっている絵を描く子の自由な発想を、「そんなのいないよ」と知識で正すのではなく、「うわあ、強そうなバーガーだね!」と一緒に驚き、その子の世界を体験すること。そんな小さな「コト」の積み重ねが、知識をただの記号ではなく、生きていくための知恵へと変えていくのです。
参加者の声:新城さんに聞く「こんな時、どうすれば?」
ゆんたく時間では、子育てや地域での関わりについて、切実で具体的な質問が次々と飛び出しました。新城さんの「生の言葉」による回答をQ&A形式でご紹介します。

おわりに
明日から意識したいこと
「今、この子にとって一番大切なことは何だろう?」と問い続ける。その迷いも、眼差しも、すべてが愛。
今回のゆんたく会を通して、私自身の肩の力がふっと抜けるような感覚がありました。
これまでは、親として「正解」を教えなきゃ、早く「自立」させなきゃと、どこか焦っていた気がします。でも、新城さんが語る「回鍋肉をわらび餅だと言う子の世界」に触れ、大切なのは立派に育てること以上に、今目の前にいるこの子の「おと」をただ聴くことなんだと気づかされました。
大人はどうしても、これまでの経験から「こうあるべき」という固定化された考えに囚われてしまいがち。
子どもの行動を大人の「当たり前」という物差しで測ることで、私はこれまで、この子の持つ豊かな想像力をどれだけ奪い取ってしまったのだろうか……。お話を聞きながら、そんな風に自分自身を振り返り、反省する気持ちも生まれました。
わらび餅が回鍋肉に見えたって、いいじゃない。
私がすでに「知っている」体験であっても、子どもの目を通して、もう一度まっさらな気持ちで一緒に味わえばいい。
「愛する子どもを自分らしく生きる子に育てたいなら、まずは自分が自分らしく生きること」。
新城さんのこの言葉は、日々一生懸命に子どもと向き合う私たちへのエールだと思いました。
大人が自分自身の幸せを噛み締め、夕日の美しさに足を止める余裕を持つこと。毎日新しい気持ちで、すべての体験を心から楽しめる心の余裕を持つこと。それが、子どもの心の声を聴くための何より豊かな土台になるのだと信じています。
条例づくりとは、難しいルールを作ることではなく、この島で私たちが何を大切にして子どもと生きていきたいか、その「生活の言葉」を紡いでいく作業です。
「今、この子にとって何が大切かな?」 そう問い続けること自体が、もう十分すぎるほどの愛。
明日からは、正解を教える先生ではなく、一緒にポップコーンの音に驚き、靴の脱ぎ跡にある「ワクワク」を面白がれる、そんな一人の大人として子どもと一緒に歩んでいきたい。
そう思える、とても温かな学びの時間でした。